金沢−輪島ミニ旅行記


 著者が2月に出張も兼ねて北陸に一人旅をした。ここではその一部を旅行記風に書いてみた。

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サンダ−バ−ドで金沢へ快走

 今回の出張の目的は、1日めは金沢と2日めは羽咋(はくい)の取引先をまわって輪島へ行き、14時からホテルでの会合に出席した後、16時半からの文化会館での日本太鼓フェスティバルを見て翌日帰ってくるというものだ。2月17日大阪をサンダ−バ−ドで出発。この特急は一昨年デビュ−した新型車両で、普通車でも座席の間隔が広くてゆったり座れる。最高時速130kmの俊足、2時間足らずで金沢に到着した。金沢市内は雪もほとんど無く、順調に仕事も進んだ。
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次の目的地は輪島だ

 翌日の予定は当初次のようなものだった。
金沢を8時8分の急行か8時48分の普通で出発。羽咋で途中下車して用事を済ませ、10時45分か11時32分発の普通で七尾へ。そこでゆっくり昼食をとり、12時19分ののと鉄道で出発。穴水で乗り換えて13時35分に輪島に到着。バスでホテルへ行く。
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列車に乗り遅れて予定変更

 18日は7時半に起床。ホテルから金沢駅までは徒歩5〜6分だから8時8分発はあきらめて8時48分発にすれば朝食をとってから出発しても間に合う時間だ。そこでおもむろにシャワ−を浴び、出かける準備をすませ、レストランでの朝食バイキングをたんのうした後、チェックアウト。ここで著者は重大なミスに気付いたのであった。歩道には昨夜から降り続いたベタベタ雪が15cm程も積もっていたのであった。しかも大きなキャスタ−付のカバンは引きずって歩くとまさに雪かきシャベル状態!結局わずかな差で8時48分発にも乗り遅れてしまった。
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七尾線の電車は快適だ

 しかたがないので次のに乗ることにした。とはいっても七尾線の次の列車は9時48分の発車だ。待つ事1時間、やっと金沢を後にすることができた。七尾線の電車は昭和38〜40年生まれのオ−ルドランナ−だが、最近の改造で車両ごとにパステルブル−とピンクに塗り分けられてなかなかカラフル。座席も現代風のゆったりした物に取り替えられ、座り心地も良くなった。10時45分羽咋に到着。ここはなぜだかUFOの街として町おこしをしており、歩道のタイル、喫茶店やお菓子屋さんの看板など各所にUFO(未確認飛行物体)が描かれており、妙な感じだった。バタバタと用事をすませ、11時32分発の七尾行きに乗り込んだ。
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のと鉄道は能登半島の動脈だ

 12時に七尾に到着。先のホ−ムには当初から乗る予定だった19分発のと鉄道の2両編成の黄色いディ−ゼルカ−がもう待機していた。次の列車はまた1時間後、乗らないと会合に出席できない。昼食はあきらめてこの列車に乗ることにした。ロ−カル私鉄線というとボロボロの旧型車両を想像するが、のと鉄道はJRから引き継いだ第3セクタ−鉄道で昭和63年に開業。車両はほとんど平成生まれ、残念ながら今回は乗車しなかったが「のと恋路号」というデラックスな急行も走っている。
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雪の能登路をのんびり走る

 のと鉄道の普通列車はワンマン運転、駅はそのほとんどが無人駅。このため乗客は整理券を取って乗り込む。車内には路線バスのような運賃表示板と運賃箱が付いている。この日は地元の人達に加え、和倉温泉駅からは著者と同じ会合に出席するらしいネクタイ姿の乗客も多数・・といっても合わせて50人ぐらいだが、乗務員さんは運転、アナウンス、料金の受け取り、ドアの開け閉めとなかなか忙しそうだ。車窓からはときおり穏やかな七尾湾の景色が望めた。
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終点?輪島に到着

 穴水駅で輪島行きのワンマン列車に乗り換える。ここからは雪深い山越え、列車は時速40km程で慎重に進む。途中道路と平行して走る区間があるが自動車に追い越されてしまった。13時35分輪島に到着。ここは終着駅なのに駅名札には次の駅名がシベリアと書かれてあった。なにかつながりがあるのかも知れないが意味不明だった。 (能登鉄道穴水―輪島間は2001年3月廃線)
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日本の太鼓は魂の叫び

 無事会合にも出席することができ、お待ちかねの日本太鼓フェスティバルの開かれる輪島市文化会館へと向かった。この催しは能登の冬季観光イベントとして輪島市観光協会が企画し、今年で3回目。2月の第3週に8日間行われる。地元の御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)のほか北海道から沖縄まで全国各地の太鼓演奏者が、日替わりでその腕を披露する。和太鼓は極めて原始的な楽器だが、その勇ましい響きが人々の心を揺さぶり、海外でも高い評価を受けるようになった。著者も今夜はその響きに酔いしれることにしよう。


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