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第二回 指型のついたティーバッグ


 新年明けましておめでとうございます。あうくだの母です。
 いやあ、寒いですねえ。大阪市内に住んでいて「寒い」なんて言ってちゃ北国の皆様に申し訳ないんですが、私は寒さに弱いです。冬生まれなんですけどねえ。それも12月28日、田舎で餅つきをしているせわしないときに生まれました。そのせいか、たいそうせっかちです。大阪弁でいう「イラチ」ですね。
 あうくださんが生まれてから、だいぶ気が長くなったと自分では思っていますが、あうくだの父に言わせると、「ふつうのせっかちになっただけ」だそうで。
 こんな私が、ゆっくりお湯をわかしてポットで紅茶をいれるようになったなんて、自分でも不思議です。

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イメージイラスト イメージイラスト  さて。前回にひきつづき、私の子供時代の思い出話を少し。
 小学生のころ、友達の家で出してもらった紅茶がとてもおいしくて、母に「紅茶を買ってきて」とねだったことがあります。それまで家に紅茶がなかったのか、ですって? なかったんですよ、これが。
 信じられないかもしれませんが、二十?年前のわが家には、飲み物といったら日本茶か牛乳か、晩酌用のお酒しかなかったのです。あ、この話は前回もしたっけ。
 で、一週間に一度、町に買い出しに行く両親に(注・私の実家は半径1キロ以内に民家もない山奥だった)頼んだというわけ。このとき買ってきてくれたのが、リプトンティーバッグ25個入り。いまでもたいていのスーパーやコンビニで売ってる、おなじみのイエローラベルです。

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イメージイラスト イメージイラスト  さっそく封を開けて、外箱に書いてある通りにいれてみました。
 きれいなオレンジ色。すっきりとしたいいにおい。いただきものの花模様のカップで、ひとときお姫さまになった気分で、紅茶を飲みました。
 それまで、両親と同じしぶーい日本茶しか飲んだことのなかった私には、「甘い紅茶」は新鮮でした。「あと24個もある。一日1個ずつなら、三週間はもつなー」などと考えながら紅茶の箱を見ていると、畑仕事を終えて帰ってきた父が「お、めずらしいもんがあるのう」と言って、ティーバッグに手をのばしました。
 あわてて「これは私の」と言って箱をちゃぶ台の下に隠すと、「ひとつぐらい、ええやろが」とにらみます。母親も「まだ、ぎょうさん(たくさん)あるんやから、意地汚いことしなさんな」とのたまう。しぶしぶ箱を渡すと、父はさっき私がやったように、外箱の説明書きを見ながら紅茶をいれました。
 「たまには紅茶もええなあ」と、父。もともとお茶好きの父は、紅茶も一杯では足りないらしく、一回使ったティーバッグを再びカップに入れてお湯をそそぎました。もちろん二煎目、色も香りも出ません。父は私が飲んだあとのティーバッグを指差して、「それ、もう飲まんのか」。
 私がうなずくと、父はそれも自分のカップに入れました。そしてふたつの中古(?)ティーバッグを軽く振ると、おもむろにそれを指でしぼってから取り出したのです。
 あっけにとられている私を前に、父はおいしそうに二杯目の紅茶を飲み干しました。

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イメージイラスト イメージイラスト  父は、お茶(日本茶)にうるさい人です。お湯の温度、お茶の分量、むらす時間、お茶をいれる作法等々、細かいことまで、とにかくうるさい。
 その父が。
 それゃないんじゃないの?……ってなことをやってくれたもんで、私は子供心に、「なーんだ、おとーさんもけっこう抜けてるとこあるなー」と妙な親近感を持ったのでした。
 大正生まれの頑固一徹、ちゃぶ台をひっくり返したこともあるらしい(私が見たわけじゃありませんが)父のヒミツを、世界に向けて発信してしまいました。
 現在ワープロと格闘している父が、これを見ていないことを祈りつつ……。

 次回はもうちょっとまじめに、紅茶の話ができるかしら。アフタヌーンティーの由来、とか。あんまり自信はありませんが、できるだけ、本筋にもどるよう努力しますね。
 では、またお目にかかりましょう。    (つづく)


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1999年1月号

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